Google ストリートビューについて思ったことを書いてみる(今さら)


今さらながらに Google ストリートビューをみて思ったことを忘れないうちにまとめる。

巷では怖い/怖くないとか、プライバシーの侵害だ!とかワイワイやっているのですが、個人的に感じたこと2点を素直に書いてみる。

最初に見たときは すげー! と声に出して、ドキドキした。横方向の360度のビューに加え、縦方向(空と地面)にも360度見れてしまう。それがすでにウチの裏にある畑の横道の細い路地まで見れてしまったりする。まさにその場に立っているのと同じ情報が提供されている。確かにコレは誰もどこでもやってないサービスだと思ったし、逆に Google しかできないサービスだとも思った。(実際ストリートビューの画像内のcopyrightはGoogleになっている)

1) これを淡々と進める Google の本気度を見た

上記の感想の後にふと思ったのは、Google は全世界中の情報を整理し尽くすために本気なんだな。ということ。

検索エンジンはクローラーがインターネット上の情報を収集してきてくれるし、Google の巨大なシステムはかなりの部分で自動化されていることより、ほとんどの部分がソフトウエアが稼動してくれることで成り立っているといえる。手段としてはソフトウエアなのだと当然のように思っていた。

けれども、これは明らかに違う。人が車を運転し、現在表示できている分の路上を実際走り、360度カメラでいちいち一定間隔で画像取得していなければ出来ない。収集する手段がソフトウエアではなく人力なのだ。効率化のしようもない部分でまさに力技、コストがかかることを覚悟にコツコツやるしかないのだ。

Google のミッションは全世界中の情報を整理し尽くすことだけども、ここまでの力技をやるとは思ってなかった。こちらの想定を圧倒的に越えている Google にただただあっぱれな思いがした。

2) プライバシー侵害の境目ってなんだろう?

ストリートビューに写っている人はおそらく本人の意思とは無関係に掲載されている状況ではある。

ただこの状況がプライバシー侵害になるかならないかの前に、このサービスが出る前からすごく気になっていたことがあるのだけど、それとこの状況は同じなのではないかと思っている。

それはよくニュース番組で台風とニュースを伝える時に、傘が壊れながらも何とか頑張って歩く人を映像として流していることや、終わりの映像として渋谷のスクランブル交差点の様子とかを映している。そこに映っている人たちにいちいち “テレビで流していいですか?” と許可を得ているわけではないし、映つされた本人は映りたくなかったかもしれないけども、もう流れてしまっている。本人の意思はどう反映されるのだろう。

テレビは映るといってもその場限りで短時間かもしれないけど、それでも結構な人数がこの映像を目にしていると思う。

この事と Google ストリートビューに写っている人たちの扱いは同じなのでは?と思ってしまう。

Google では顔や表札や車のナンバーにぼかしを入れていたり(精度は上げないといかんと思うが)、申請によって写ってほしくない部分の削除が可能そうなので、その対応をとっているだけまぁ良いのでは?と結構楽観してしまっている。

SNSやBLOGで個人の情報発信がを活発に行っている人たちは、本名を名乗ったり顔写真を出したりする傾向は強くなっていくと思う。逆にそれをしてない人たちはすごく怖いことに思える状況は、ちょっと前の自分がそう思っていたのでよく分かる。

ただ、時代が大きく発展するためのサービスとか技術とか考え方って、かなり楽観しておかないとアプローチすらできなくなると思う。そういう意味では Google ストリートビューはすごく大きなアプローチだと思う。

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