年代的に、「ステータス」というものがあった。(今はもう実質なくなっていると思うけど) 男ならある程度の年齢までに、結婚して、家を買って、車を持って、家電を一通り揃え、外で働いてお金を得て、家族を養う。を実現すべし。という感じの空気というか画一化の産物と言うか。
ここ数年特にこのステータスというか日常的に当たり前と思っていたことを疑うようになった。疑えるようになったと言ってもいいかもしれない。
自分は、いわゆるサラリーマンではないし、自分で会社を持って自宅がオフィスなので、当たり前に対して元々疑問を持ちやすい環境なのかもしれない。
2020年3月からコロナウイルス感染が拡大して、価値観が変わったのが大きかった。
そんな日常当たり前と思っていたものを変えてきたのだけど、その結果、日常生活が豊かになったなぁと実感している。
ちょっとまとめてみる。
テレビ
元々アンテナのない家なので、フレッツの提供するオプションを申し込んでインターネット回線に乗せて、地上波・BSを見ていた。
フレッツからNURO光へ乗り換える際にテレビはもう見たくないと思ってやめた。 信号が受信できなくなったので、NHKもすんなり解約できた。
実は数年前からテレビに対してはすごくネガティブに思っていて、強制的に見せられている感がすごく嫌だった。 内容も興味を惹かないしむしろ低俗。CMは長い。アテンションだけを得ようとする傾向。
自分にとって害のあるものを無理に受け入れることはないので、家族は嫌がったが結果的にやめて本当に良かった。
今では家族はテレビが見れないことに対して何も言わない。テレビの存在を忘れている。
懸念されそうな世の中のニュースのキャッチアップは、個人的にはRSSリーダー、SNS、fire tv が見せてれるニュース経由で十分できている。
精神衛生上のメリット、心の健康が得られた。
車
車はコストがかかる。ローン、保険、車検、ガソリン代などなど
その割に乗る頻度が少ない。
子どもが大きくなったらから必要性ががくんと減って、車が必要なシーンが少なくなった。
結果売ってよかった。売値がローンの残金より大きかったので、いくらかキャッシュが得られた。
今はカーシェアで事足りている。家から歩いて3分の場所にカーシェアリングの駐車場があるので、そこを申し込んで利用している。
電気
電気の依存度を下げたいと思った。
きっかけは東日本大震災だったと思う。今の円安による上がり続ける燃料調整費=電気代も要因。
気づくと電気で動く物に囲まれている。
携帯の充電はソーラーパネルからモバイルバッテリーに充電。 夜にモバイルバッテリーから携帯に充電。
天気が悪い時はバッテリーにたまらずコンセントから携帯に充電という時もあるから、全然安定したものではないけど。
でも、自分の手元でどこにも依存しないエコなサイクルが作れてる実感は結構大きくて充実感。
家庭菜園
コロナウイルス感染が広がった際に、数日間品不足になった。買い占めもあったかもしれない。 価格が高騰した。 手に入らないかもしれない恐怖。
価格は今も上がり続いている。
食材は生きるための基本。その食材を買うことだけに依存し過ぎていた気がする。
買うことに依存しないようにするには自給自足。 自分で食べるものは自分で作る。
家の小さな庭で小さく育てている。今年の夏は大葉、ナス、トマトが取れた。
まだまだ量が少ないが、これから量を増やしていけるようにする。
「自分が生きるために自分が食べるものを育てる」こちらの方が今はすごく当たり前のことに思える。
電気炊飯器から土鍋炊きへ
ガスで炊ける土鍋を買った。
昔ながらの窯で炊いた感じのご飯が食べられる。
炊いたご飯の印象は最初はちょっと硬めに感じたけど、今はその硬さも含めて美味しいと思う。
ガスの火力と分厚い土鍋が美味しさを作ってくれる。
保温の電気もいらない。冷めたら食べる分だけお茶碗に装って電子レンジで温めればOK
電気炊飯器に戻りたいとは思わないなぁ。
洋服
自宅がオフィスでコロナでさらに外出しなくなったので、外出用の洋服を着る機会がなくなった。
この夏はしまったままの夏服が半分以上になった。
新たに買う必要もないし、持っている服の半分が余っている。むしろ処分したい。
固定電話
子どもが大学生になったので、自宅の番号が必要なくなった。
高校までは自宅の電話番号欄があったので、残しておいた。
携帯電話で十分。FAXのためもあったけど、FAX自体が世の中から消えた。
今までは外からの見た目を気にしすぎて、家の中のことを当たり前として考えないようにしていた。
実は家の中のことを考えて、変えていくと心身ともに健康的になって、日常の生活がとても豊かになれる。
その事に気づけた。