3/25は娘の小学校の卒業式でした。めったにないイベントなので平日でしたが参加しました。
可能性に満ち溢れる時
今の自由の度の高い生活と卒業式みたいな形式を重んじる場はとてもギャップがあって、新鮮な体験になった。
数々の祝辞は卒業する子どもたちに「おめでとう」という言葉と未来への可能性への期待を伝える。
「おめでとう」の裏側には可能性に満ち溢れた卒業生への期待、羨ましさ、眩しさなど色々な要素が大人の中に垣間見れるような気がした。
卒業証書を受け取る際、自分の将来の夢や今後どうしていきたいかを1人ずつ発していた。 どの子も「xxxx になりたい」「だから、こうしていきたい」と大きな声で自信を持って発している姿は眩しかったし、応援したくなる気持ちでいっぱいになった。
彼らは可能性に満ち溢れている。なりたいものになれる可能性は今の彼らなら十分にある。
逆に自分にもなりたいものははっきりして目指しているけど、同時にもうなれないものもはっきりしていたりして、なんでも目指せる時にはもうない。
彼らはまだ未熟かもしれないけど、代わりに可能性という眩しすぎるものを持っている。 大人では得られない宝物を持っている。純粋に羨ましいと思った。
大人へのステップの一歩目
どの子もまだ子どものあどけなさが残りつつも背も大きくなって来ていて、子どもからちょっとだけ抜けだす時期なんだなと思った。
成長期の差から女子のほうが男子より背が大きく大人により近づいている印象。男子はまだまだ子どもに見える。
彼らの立ち振舞を見ると、ちょうど大人へのステップを進んでいく一歩目を踏み出した感じ。
これからの大人への長い道のりの過程で、どんな体験をしていくのだろう。 その長い時間や可能性への期待からのワクワク感は何ものにも変えられない、この時期の子どものもつ特権だと思った。
おめでとうと未来に幸あれ
自分の娘もなりたい職業とそのために頑張りたいことを話していた。 素敵な夢だったので、是非実現に向けて懸命にアプローチして欲しいし、親として自分もできる限りのサポートをしていきたい。
そのために外国に時々中長期的に住むとか、夏休み年末には必ず海外に出るとかもいいな。自分としての夢も広がる。子どもが自分の可能性を広げてくれる。
卒業おめでとう、そして眩しい可能性を持っている彼らの未来に幸あれ。