ある大企業の人事担当者と話した時にちょっとした笑い話を聞いた。
毎年大量に採用する新入社員の研修は泊まり込みで、男女の宿泊施設は別にしているのだが、まぁ若いということもあって女子の部屋に男子が行ってxxxするみたいなことは毎年起こるらしい。
新人育成の担当者としては、そういうことは起こってはいけないっ!ということで、部屋を見回って見つけた場合は鬼のような形相で引きはがして、女子を帰した後に裸の状態の男子を説教するらしい。
そんなことしなきゃいけないんだねぇ~。とおもしろおかしく聞いた訳だが、その後にそれを自分がやらなきゃいけない立場だったとしたらやれるんだろうか。。と思った。
そんな振る舞い方が自分にできるかなぁ。と考えたらそれは無理だなと思った。そんな状態の男子に正座させてまともに怒る前にその姿を見て笑ってしまう気がした。いや、絶対そんな状況は面白すぎるので笑ってしまうだろう。無理無理。
確かに、新人育成担当としての振る舞い方としては正しいとその会社の中では思われるだろうし、現にそれが仕事になっている。でもそれは本当に自分のやりたいことではないはず。じゃあ、それは何のためになるんだろう?
確かなのは、少なくとも自分のためではない仕事があるということ。会社としての振る舞い方をするために自分を抑えて演技する。
それができるとしたら、素の自分を殺して演技することになるんだろう。そう考えると、仕事のやり方として「自分のやりたいことをやる」の真反対は「自分を抑えて演技する」になると思えた。
いま、会社を作って「やりたいことをやって生活していく」実験をしている自分にとっては「演技する」必要がない。それは、やる/やらないの判断の一つに「自分のやりたいことかどうか」があるから。
サラリーマンを辞めて、一番思ったのはこの「素直な判断」ができていると、余計なストレスがかからない健康的な仕事の仕方ができる。ということ。
この実感が得られたことは、自分の働くという認識を大きく変化させて、確信にできたという意味で、すごく大きい。
ただ、「やりたいことをやる」のは楽ではない。判断の基準が全て自分になるので、自分の責任が全てになる。逆に演技は振る舞い方のお手本があったり、演技できているかどうかは最終判断が他人だったりするので責任がない。特に、大企業はリスクを負わないようにする性質があるので、そもそも大きなリスクは仕事としてない。
大企業に勤めることがステイタスだった時代は、「演技すること=仕事すること」だったのだと思う。現にNTTをいた頃を思い返すと年功序列や組織間など環境に制限があるので、常に演技しなきゃいけない状態だったかと思う。
今はやりたいことが仕事としてやれる環境が確かにある。今というより、本来仕事をするということは「やりたいことをやる」が基本だった、と言ってしまっていいと思う。
日々、演技することに一生懸命になっているとしたら、それをやめて、本当に自分のやりたいことはどんなことだろうと考えを巡らす時間を作ることをした方がより健康的だし、発展的になれる。自分が組織に埋没していると思う人は是非やっていいと思う。
一つの話から、そんなことを考えてしまった。その他にも、そもそも新人だから、新入社員だから何かを与えなきゃという発想すら必要なくてよいではないか。ということとかも思っていたのだけど、それはそれとして別の機会に書いてみることにする。