1月末に退職予定なので、この会社にいた2年間を振り返ってまとめておく。
2007年2月5日。3度目の転職となるこの日にトランスコスモスに入社。転職理由はそれまでしてきたインターネットバックボーンネットワークの運用から完全にフィールドを変えて、インターネットサービスの立ち上げを経験するため。
自分としてはステップアップのためには安住することなくフィールドを変えることは必然と思って今までもそうしてきた。その中でもインターネットサービスの立ち上げは自分のキャリア上、必ず経験しておきたかったことで、ステップアップのうちの最終段階になるだろうと思っていた。会社に属する感覚はなく、求めるフィールドが会社名はなんでもよい感覚だった。
meet-me のプロジェクトとの出会いは偶然だと思う。まだ国内ではサービスされているところがほとんどなかった3D仮想世界(当時はメタバースという言い方も浸透してなかった)サービスをこれから立ち上げるというもの。まだ、プロジェクトメンバは確保できておらず初期からの参加。先端的なインターネットサービスのスタートアップでベンチャーだ。この話を聞いた時の興奮、高揚感は今でも覚えている。
2007年5月ごろからパートナーとの大まかなシステム設計に入るが、なかなか規模が想定できずに半ばエイヤーで決めて実際作り始めたのが8月くらいからか。そこから12月末のαリリースまで自分のスピード/判断力/問題解決力の全てを研ぎ澄まして怒涛のような時間を過ごす。発生する問題は瞬間的にその場で解決するようにして仕事以外の自分の時間は体を休めるために使ったと思う、おそらくこのブログのエントリーも少なかった時期かと思う。期限までに立ち上げることだけに集中したと思う。結局エンジニアのメンバは増えず、インフラとそれらを運用するためのツール含めた仕組みの要件決め/設計/構築まで行った。
この時間は自分がどこまでやれるか実感するのに本当に良い経験だった。今まで環境に恵まれてきたことで自分の限界値が想定だけだったのが、実際のパフォーマンスでどれくらいのスピードとクオリティを示せるのか分かったし同時に限界も分かった。この時間を経験したことで大きな自信をつけたのは確かだった。振り返ると何かスポーツにのめり込んだような感覚に近いかと思う。
2008年から4月の正式オープン時までは同じようなドタバタでのリリースを重ねる。拡張を行いスペックを担保した。その後は小規模な拡張や構築をした。ドタバタは変わらずともストイックな時間を過ごす必要は薄くなっていった。その後も大きな変化はなくなく、今までの作業を手順化してそれなりのスキルのエンジニアのルーチン業務にして効率化を図った。その一方、クリティカルなミッションはそれほどなくなってきた。
サービスのスタートアップがうまくいかずに四苦八苦するケースは多いし、ましてやサービスインして1年ほど経過しただけなので焦る必要もないかもしれない。ただ、これはインターネットサービスのスタートアップなので、あらゆるチャレンジをしなくてはいけないとも思っている。まだ成功していないし、チャレンジャーである立場は成功しても変わらないだろうし。
そう思って過ごしていたらやはり自分自身のすべのスキルを使ってチャレンジしたいと思うようになっていった。技術を知って使っているだけではなく、判断力、発想力、嗅覚を存分に使ってチャレンジしてみたい。そういう欲求が沸いてくる。
一人で独立することは自分の持っている価値が正当に客観的に評価されてそれが対価となって生活していくと思っている。自分の全て試して失敗したらそれは本当に自分の責任であって、それはそれで大きな経験になるし、また次への課題になるだろう。ネットの力と自分を信じてやってみれば何とかなるんでは。そんないつものような楽観的な自分が出てきて自問する。まぁ35歳までやってみたかったしやるかな。と腹をくくって進み始めている。