小学校の授業参観にいってみて思ったこと


子どもの小学校の授業参観が土曜日にあったので行ってきた。はじめて子どもが通っている学校の教室へ入る。

事前に嫁からは先生の話がが聞けない子。席を立ってしまう子がいてなかなか授業にならない状況を聞いていた。その話を聞くと原因は核家族とか子供同士の関わり方の変化とかそういうものが精神的に影響してしまっていて、それが表面化してしまっている。と思っていたが、実際授業を見てどうやら違うと思えた。

子供たちはとても素直で、元気で、正直で、うれしい時はうれしそうな顔をしていた。すごく素直でまっすぐな印象を受けた。これは自分の子供時代と共通するような、時代が過ぎてもあまり変わっていないような気がした。

授業が進む。国語の授業で2ページほどの文章を読み、情景に対してどう思ったかを子供たちに考えさせて発表させることをしていた。授業の後半で話を聞かなくなる子、席を立つ子がいた。確かにいたがそれは授業に飽きてしまっているからのように見えた。

現象の原因は授業をする立場の面白さの提供不足かと思った。

子供たちはあいまいな質問に長時間答えることにもう飽きてしまっていた。どう思うかをしつこく聞かれたところで、表現するために使える単語は多く持ってないので一文で終わってしまうのだ。

もっと彼らは表現する単語を覚えられるし、覚えたいと思っているだろう。あいまいな質問を続けるよりかは表現するための単語や漢字をもっと覚える時間に使ったほうが子ども達(聞いている側)の興味を満たしているように思えた。

この時期の子供の脳の発達はすばらしいと思う。細胞がどんどん活性化されて広がって行くこの時期に、授業の内容や先生の話が活性化するための刺激にはなっていない。

これがゆとり教育の現場かと思えた。ゆとりと聞くとネガティブさがないが、実際これはスピード感のない、刺激の少ない退屈な時間。になっていると思えた。

これは小学校の先生と生徒の関係だけではなくて、大学での講義をする人/受ける人、社会人ではのプレゼンをする人/聞く人の関係も同じだと思う。細かい単位だと会議や打合せで発言する人/聞く人の関係もそう。発表や話をする人の内容がよければ聞く人は聞いてくれる。つまらなければ聞いてくれない。大学では寝てしまうだろうし、社会人であればプレゼン中でも突っ込まれたり、結果的に顧客に認められず失注という結果になったりする。

プレゼンする人は聞いている人の時間を奪いながらも自分が主張させてもらっていることをもっと自覚したほうがいいと思っている。自分の話す言葉を考え、聞いてくれる相手に対して謙虚になり、自分の力がどこまで届くかのチャレンジだという意識を持って望むべきだと思う。

この自覚を持って話してみるだけでも、かなりの質的向上が図れると思う。

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