いつもプレイヤーでありたいと思っているけど、実際プレイするフィールドにちゃんと立てているかも同時に考える。
一緒にやっているようでもフィールドに立っていなくて、スタンド席に座って何か叫んでいるのは本当に一緒にはやっていない。
そのスタンスは本当にこのミッションを自分でやろうとしてないでしょうと思う。
確かにそういうスタンスの人はいるし大きい会社には必要な存在なのかもしれないけど、やっぱりそれは価値を直接的に作り出すことはどうやってもできない。やっぱりそれは突き詰めれば本当に必要な部分にはならない。
本当に必要なのは自分がプレイすること、コマンドを打つこと、プログラムを書くこと、ドキュメントを作ること。これらが無いと作れないという意味で、これらがしゃべることよりいかに大事なことかをいつも感じる。
社内でもスタンド席からあれこれという人。社外なのにフィールドにちゃんと降りてきてくれて一緒にプレイしてくれる人。
どっちが一緒に作ってる感があるか、また一緒にやりたいと思えるか。だから会社対会社の関係から個人対個人にフォーカスされていくのだろう。