印象派の絵画をたくさん見て思ったこと


サービス作りに注力するようになってから、意識的に芸術に触れようとしている。

家の中で作業は完結するので、こもって知らないうちに内向き志向になると良くないと思ったから。脳に対して何がしかの刺激を与えるために今まで数回美術館に行っている。

今までになくちょっと深いところまで考えたりできたので、思ったことをメモしておく。

今回は六本木にある国立新美術館で開かれている「印象派を超えて点描の画家たち」に妻と行ってきた。

絵について詳しくはないのだけど、印象派の絵画は水色とかピンクとかの淡い色で構成された「やんわりとぼやっとした絵」という感じで、あまり好きではなかった。
ぼやっとした印象を持つのは点で描かれているからで、異なる色の点を配置して濃淡を表していた。

Wikipedia「点描」 より

途中ビデオによる解説があって、点描で描かれる点の配置は補色同士の組み合わせになっていて、互いの色を引き立て合う相乗効果を狙っていることを知ってから、途端に面白く見ることができた。印象派の点描は科学的な根拠にもとづいた技法だった。

補色というのは、

色相環 (color circle) で正反対に位置する関係の色の組合せ。

Wikipediaから
で、

Wikipedia「補色」より

お互い反対側に位置する赤&青緑や黄色&青紫を点として配置する。

確かに絵に近づいて見てみると、濃い紫の点にまじって黄色の点があったりしてちゃんと補色同士で配置されている。引き立て合うのは「補色調和」といわれるそうで、その視覚効果を意図的に狙って描いている。
画家たちは補色の関係にある組み合わせを知識として学んでから描いているそうだ。

大学時代に読んだ本に書いてあった、光の性質について思い出した。
粒子と波動の二重性」というらしい。

光は粒子と波の性質を持っていて、点描は光の粒子同士が集まっている様子を絵で表しているように思った。色自体は光の波長の違いから人間の目にそう見えているからなので、絵の中でいろいろな波長の光が集まり合っていると理解できる。

その補色関係の光の粒を見ることで反射や奥行きを感じる。はっきり輪郭があるわけではなく点の集まりなので見るというより、自分の脳の中で補完して立体感を認識するという感じがした。
「見る人がその人の脳内で作る」という絵の見方自体がとても面白い。見る人に依存する部分なので、人によって奥行き感とか暗さの認識が違っているくだろう。

画家によって点の描き方とか細かさが異なっていて、それが作品の雰囲気を作っていた。

ジョルジュ・スーラは全て細かい点で均一描いて補色を使ってうまく濃淡を表現していた。
テオ・ファン・レイセルベルヘは大きなキャンパスに細かい点で丁寧に埋め尽くし淡い印象を与えていた。
ただ、細かい点を大きいキャンパスに描くと遠目から見ると単なる風景画に見えて、せっかくの点の効果が薄れている印象がした。

特徴的でとても面白かったのがゴッホで、点の大きさや長さを描く部分によって変えていた。
有名な「種をまく人」は遠くの方は細かい点、近くの方は大きな点になっている。近くの方は点というよりある方向性を持った短めの線になっている。

Wikipedia「フィンセント・ファン・ゴッホ」より

補色を部分的に取り入れつつ、点ではなく短い線することで光の方向を表してダイナミックな印象を与えていた。
ゴッホの自画像も同じく短い線で構成されていて、ゴッホのダイナミックな印象はこの線の方向から来るんだなぁと理解できた。

意外にも物理学とかからんで面白い経験ができた。事前に自分がどんな刺激を受けるか予想できなかったのが良かった。
何事も背景にある考え方や理論を知ると一気に面白くなるなぁ。

今後も脳が刺激されたことを書きためていければと思う。