39回目の誕生日に思ふこと


9/16は誕生日でした。恐ろしいことにもうこれで39回目。来年は40歳です。ちなみに妻は前日の9/15が誕生日で、この日だけ同い年になります。

2013BirthDayCard写真は娘が当日くれたお手製のバースデーカードで、僕に似せているみたいです。青い洋服が多いのと、ちゃんとリンゴマークの入った MacBook を持っています。

お誕生日は自分が主役になれる年に1度のまれなイベントなので、自分自身がその歳で何を思ったかを残しておくのは貴重かなと思い、書いてみることにします。

子どもの頃に思い描いていた39歳のイメージは、いわゆる「おじさん」な人で、安定した企業に勤めてスーツを着て社会的にもしっかりしたポジション(課長とか係長あたり)にいる。という感じで、40歳以上はもっとでっぷりして髪もポマードでテカテカしている、さらにおじさん度が深くなるみたいな感じだったと思います。

今の自分の姿とは1つとして当てはまる点がないのですが、それだけ時代が変わったと言えるし僕自身も変わってきたと言えます。

思えば遠くへ来たもんだ

僕がいわゆる大企業の出世街道から降りたのは、新卒で入社したNTT(入社した直後にNTT東日本)を辞めた時だと思う。その時は何もスキルがない自分にすごく危機感を持っていて、子どもが産まれて7ヶ月目だったけど、安定を求めるというよりとにかく自分を向上させる環境に行きたかった。

そこから2〜3年程度で転職を3回ほどして、徐々にWebサービスづくりの仕事に近づいていった。この間IPOも経験して、株ももらえて売って、これは本当にラッキーだった。その時のゲインがなければ多分独立したり今やっているようなサービスづくりのチャレンジ方法は取れなかったと思う。

独立して会社を作って受託を始めた。ちょうどAWSが日本で認知され始めた時で、触り始めて受託仕事が入るようになって本も書かせてもらった。AWSのエバンジェリスト Jeff Barr にも会った。サラリーマンだったらできそうもない経験を一気にできた。

シリコンバレーでアメリカで登記したはじめてのスタートアップ fluxflex をやって、うまくいかなくって辞めて。去年は個人会社の活動を再開してキャッシュをプラスにして、今2回目としてサービスづくりを1人でじっくりやっている。

大企業に30年勤めて定年を迎える昔の常識は今では描けない。インターネットが普及してITが進化したので、1人でも大きなインパクトを起こせるようになった。リスクを取ってでも次のフィールドに進みたいと思っていた僕の背中を時代が押してくれた。

子どもの頃に描いていたイメージとは全く違っていて、むしろ正反対の方向に進み続けてきているのだけど、その不確実性が人生の面白さであって、このギャップの大きさは僕の変化の大きさの実績として気に入っている。

妻と娘に支えられていること

スタートアップの創業者は学生だったり、卒業したての20代がシードアクセラレーターの狙い所みたいだけど、家族がいる強みがこっちにはあると思っている。

スタートアップのチャレンジは実は長くて、3〜8年くらいの期間がかかると思っていて、20代前半でスタートしてもその間に結婚して子どもが生まれてというイベントは起きそう。だから、スタートアップのチャレンジ中は未婚でいるんだというのは響きとしてはカッコイイけど、実際は無理だろう。

リスクの高いことにチャレンジするにはやっぱりメンタルが不安定になる。人間が弱くなると判断や言動が非人間的になる様子を今まで見てきた。精神的に支えてくれる存在がいつもそばにいることが、良いパフォーマンスを継続的に発揮できることにつながっている。

妻は腰の落ち着かない僕に1度も不満を言わずに支えてくれた。ありがとう。
娘の存在は僕を父親としての立場を忘れさせないでくれるし、喜怒哀楽に包まれた家族にしてくれる。ありがとう。
妻と娘の存在があるから僕は自分のやりたいことをやりたいレベルで出来ている。

チャレンジする気持ちが年齢に引きずられないように

どうしても家族を持って社会人として10年以上経過すると保守的になるみたい。同い年を見ていてもギラギラしていたのがおとなしくなったりする。
ちょっとした時にふとよぎる時がある。家族もいるし娘も大きくなったしアンパイに振る舞った方がいいのではと。でも、それをしてしまうと僕が僕でなくなるような気がして、すぐに否定する。

いつもチャレンジをあきらめない
挑み続けているスタンスをとり続ける
時代を自分が作っているような感覚で進み続けたい

と思う。そして、娘がそんな様子を見て大人になる前に何かを学び取ってくれればいいなと思う。

今は何歳までそれができるかわからないけど、年齢ではなく自分の振る舞いたいように進んでいけることが一番良い人生の歩み方のはず。