アクションを考えられる/られない


会議は効率的に進めたいので、1時間で終わらせたい。と思いつつ23時までかかって3時間也。疲れた。。。それはまぁこういう時期だから良いとして。

すごい会議の手法で日常的な問題点への解決方法があり、会議の中で実践してみた。やってみてどうだったかは別の機会に書くとして、、、

最終的にアクション(コミットメント)を出し合う訳だけども、これが考えられない人がいて個人的には結構ショックだった。

“~すべきだ”、”~であるべき” みたいな話は出来るけど、ではそれを “いつまでに誰が何をして達成するのか” の形式でアクションにしようとした途端、思考停止。産みの苦しみで出たアクションは問題点を解決する事に対して全く関係のない現実性の低いもの。

全ての行動が思いつきでやっていたということなのか、日常的にいかに意識していないかが個人レベルで露呈されてしまっている。

アクションを考えられる/られないの違いは大きい。

結局はどんなにいい演説を聞いたとしても、アクションをしなくては何も起きない。その1歩が踏み出せるか踏み出せないかはデジタルの 0 or 1 と同じくらい端的なもの。この突き詰め方が出来ているだけでだいぶ進捗がよくなってくる。そもそも考えられない人は進捗という考え方がなかったりするけど。

状況が難しかったり、複雑だったりした時に “どうして良いか分からない” という行動停止状態になりがち。こうなった時にどう動き出せるか、何が出来るかが判断力とか考える力、行動力とか人としてのいろんな要素が試されるんだと思うなぁ。