公共性を持つということについて


またまた大そうな題名ですが、JR西日本の電車事故を受けてつくづく感じたので、、、

今回の事故(個人的には事件(人災)と思ってますが)で電車に乗るということは大変な危険が潜んでいることをその映像からまざまざと教えられている訳です。しかし、次の日の朝はリスクを感じながらも車通勤するほどの決意はなく、いつもながらに電車に乗ってしまう。会社に行くためには乗らざるを得ない。

“使わざるを得ない”これが公共性なのではないか、よくインフラというと電気・ガス・水道というけれど、電車も生活に密着した公共性の高いインフラと言えます。

公共性が高いと言っても電車は国営ではなく会社が運営してます。しかし、ある種のルール(法律)にしたがっている面があります。

公共性が高い —> 法律で縛る

という関連です。電話も同じでNTT法がある。

では、インターネットはどうだろう?どうなっていくだろう?

今後インターネットは確実に公共性の高い存在になるでしょう。最初は大学の研究所から始まったものが、ビジネスで利用されるようになり、瞬断も許されない品質にまで位置付けが変わってきてます。

今後、公共性が高まった時にある程度の品質を保つために何がしかのルールで縛られるのではないか、またそうしなければいけないのでは?という気もする。その時に各 ISP のオペレーターやエンジニアはどうなっていくのか、何を求めていくのか?

てな事を考えると、このフレンドリーで自由な業界に携わる人たちがいい意味でも悪い意味でも社会から変革を求められる時がそう遠くない時期に来るんじゃないかと思うわけです。